アルネ・ヤコブセンの生涯と椅子

「建築に遊び心がなくなると、進歩しなくなる」

アルネ・ヤコブセン(以下ヤコブセン)は、1902年デンマークの首都コペンハーゲンにて、ユダヤ系の裕福な家庭に生まれました。
父親は小物の輸入業を営む商人、母親はデンマークで初めて銀行に勤務した知的な女性でした。
ヤコブセンの記憶によると、母親は手先が器用で、家では花の絵をよく描いていたようです。ヤコブセンは母の影響を受け、自然を愛する少年になります。
よく先生を困らせるわんぱく坊主だったヤコブセンは、11歳にして寄宿舎へ入れられます。寄宿舎では、後にデンマーク近代建築のパイオニアと呼ばれるフレミング&モーウェンス・ラッセン兄弟と出会います。ヤコブセンの学生時代には、水彩画で非凡な才能を発揮して、画家を目指すようになりますが、ラッセン兄弟の反対にあい建築家の道へ進みます。
1924年、デンマーク王立芸術アカデミーに合格します。1925年のパリ万博では、椅子をデザインして、銀メダルを獲得するなどし、才能を開花させました。
アカデミー卒業後、コペンハーゲン市の建築局に2年勤務しますが、その後すぐ独立。1929年フレミング・ラッセンと共に応募した「未来の家」がコンペで優勝します。

しかし、第2次大戦が始まるとデンマークはドイツ軍に占領され、ユダヤ系であったヤコブセンはスウェーデンへ亡命します。戦後デンマークへ戻りますが、しばらくは不遇な扱いをうけることになります。

SASロイヤルホテル

1960年、家具デザイナーとしてヤコブセンの名を残す椅子、エッグチェア/スワンチェアを生み出すきっかけになったSASロイヤルホテルが完成します。
アルネ・ヤコブセンが目指したのはトータルデザインです。
建築・内装や家具など、建築空間に関わるあるゆるものを総合的に設計する「トータルデザイン」でした。
それ故に、ヤコブセンにとって、椅子づくりや照明デザイン、テーブルウェアのデザインなどは、建築家としての当然の行為でした。

フリッツ・ハンセン社

アルネ・ヤコブセンの椅子を語る上で、フリッツ・ハンセン社の存在は欠かせません。
成形合板や硬質発泡ウレタンといった、新素材や新技術に対して果敢に挑戦し、新しい椅子をこの世に送り出してきたのがフリッツ・ハンセン社です。
ヤコブセンの椅子は、フリッツ・ハンセン社の協力なしにはありえません。
アントチェアやセブンチェアなどの成形合板の座と背が一体構造の椅子、エッグチェアやスワンチェアのような美しい曲線の椅子は生まれなかったでしょう。
アルネ・ヤコブセンがデザインした正規の椅子を購入できるのは、フリッツ・ハンセン社の正規代理店のみです。

リプロダクト品

アルネ・ヤコブセンの椅子は、すでに著作権が切れており、多くのメーカーがリプロダクト品として生産しています。
ネットで見ると正規品と変わりませんが、実際には正規品とまったく同じものではありません。注意してください。

スワンチェア/Swan Chair

Egg Chair/エッグチェア

ヤコブセン セブンチェア

ヤコブセン アントチェア

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