椅子ラボ

ハンス・J・ウェグナーの生涯と椅子

ウェグナーとYチェア

ハンス・J・ウェグナーの生涯

ハンス・j・ウェグナー(以下ウェグナー)は、ユトランド半島にある片田舎、テナーという街で生まれました。
父が靴職人(マイスター)であったのと、ウェグナーが家具職人(マイスター)へと進んだのは、父の影響が少なからずあるようです。
幼少期は彫刻家になるのを夢見たほど、木を削るのが好きで、よく近所の家具工房へ出入りしていました。
13歳になったウェグナーは、家具職人になるべく、木工所に弟子入りし、本格的に修行を始めました。そして、17歳にして木工マイスターとしての資格を得たのでした。

20歳になると兵役のために、デンマークの首都コペンハーゲンへ出ました。
田舎者のウェグナーは、都会の洗練されたデザインに刺激と劣等感を感じます。
「洗練された都会では、木構造の技術と知識だけではなく、デザインの力が必要だ」

兵役後、コペンハーゲンに残り、コペンハーゲン手工芸学校でデザインの勉強をはじめました。
在学中には、王立芸術アカデミーで家具のデザインを勉強していたボーエ・モーエンセン(以下モーエンセン)と出会います。後のウェグナーにとって、モーエンセンとの出会いは大きな転機となります。
家具デザイナーとして独立後、ウェグナーが苦しい時に援助してくれたのが、友人のモーエンセンでした。

手工芸学校卒業後、ウェグナーは建築家であり家具デザイナーでもあるアルネ・ヤコブセン(以下ヤコブセン)の設計事務所にて働くようになります。
ヤコブセンの代表作でもあるオーフス市庁舎の設計に携わり、議会の椅子やラウンジチェアなどのデザインを残しています。

家具デザイナーとして独立後、ウェグナーに多くの仕事が舞い込んだわけではありません。
当初は、妻の協力を得ながら暮らさざる得ない時期もありました。
数年間苦しんだあとに、ウェグナーの転機になる切っ掛けになったのが、【中国明代の圏椅】でした。

チャイニーズチェアをリデザインを繰り返していくことで、自分の家具のスタイルを確立していきます。
ケネディ大統領がテレビ討論で座って、アメリカで爆発的な人気を博した【ザ・チェア】や、日本で人気となり今ではすっかりポピュラーになった椅子【Yチェア】などもチャイニーズチェアが原型です。

ウェグナーのデザインポリシー

第一 座りやすさ
第二 クラフトマンシップ
第三 デザインの美しさ

【座りやすさ】と【デザインの美しさ】というのは、どの椅子デザイナーでも追求することです。
第二の【クラフトマンシップ】はウェグナーらしいポリシーです。
ところが、【クラフトマンシップ】と聞いて【手作り】と勘違いしてはいけません。
ウェグナーのいう【クラフトマンシップ】とは、手作業と機械作業をうまく使い分けることです。
「品質を落とさない限り、できる限る機械を使うこと」
これを念頭にウェグナーは家具を設計しました。
クラフトマンシップ=手作り至上主義 ではありません。
手作業の精度には限界があり、機械を使うことで、効率よく再現できる形状もあります。
機械と手作業は、相反する作業のように見えますが、ウェグナーが目指したのは機械を使いこなすことで、より良い家具を設計することでした。

Carl Hansen & Son

Carl Hansen & Son(カール・ハンセン&サン)社は、ハンス・J・ウェグナーの代表作、Yチェアで有名なデンマークの家具メーカー。1908年創立当初はクラシックソファなどのオーダーメイドの木製家具を製作し、1950年にはウェグナーとのコラボレーションを開始し、Yチェア等の数々の名作シリーズを発表。伝統的なクラフツマンシップを受け継ぎつつも工場生産のメリットを取り入れた、木材本来の持ち味を大切にする良質でデザイン性に優れた北欧を代表する家具メーカーです。
ウェグナーの椅子を今でも作り続けている数少ない家具メーカーの一つです。

Yチェア CH24
 

CH36 チェア
 

CH88P スタッキングチェア 
 

アームレスチェア CH23 
 

エルボーチェア CH20 Elbow Chair
 

CH33T チェア
 

シェルチェア イージーチェア CH07 
 

ラウンジチェア CH22
 

ラウンジチェア CH25
 

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