先日、帰国したときに仙台で建築家として活躍している大学時代の友人二人を訪ねた。
二人とも中身はほとんど変わっていないが、大学時代に語っていたことを実現していた。
アウトプットされる建築もレベルが違うものの、大学時代の面影が残っていた。
少ない休みから無理やり切り取り、思い切って出かけた仙台だったが、期待以上に良い経験ができた。
独立した友人の事務所
せんだい3.11メモリアル交流館
震災後新しく建てられた荒井駅内にある施設。仙台周辺の被災の記録・写真が展示されている。
ここは被災地へ向かうポータルサイト。実際に被災地へ足を伸ばしたい方のための入り口となる情報を提供している。
友人がここの展示インテリアに関わっていた。
くわしくは、公式サイトへ
なお、荒浜小学校が津波の爪痕を残したまま保存されているので、ぜひ行ってみてほしい。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
詳しくは、仙台市の公式サイトへ
ゆりあげ
津波で多くの住宅が流された【ゆりあげ】には嵩上げ道路を建設中。
ほとんど更地になっていたが、鉄筋コンクリートの被災した建物がポツリと残っていた。
山元町の防災・山下地域交流センター
山元町も津波の被害が大きかった地域だ。ここも友人が展示に関わっている。
山元町の中浜小学校は、屋上に生徒を避難させたが、2階の天井まで津波が襲ってきたというおそろしい被害を受けた地域だ。
詳しくは、山元町の公式サイトへJ
JAC’s Village
被災地とは関係ないが、最近友人が関わっている廃材やリサイクル品を活かした蔵王にあるテーマパーク。
この廃材で作られた家が面白かった。
詳しくは、JAC’s Village公式サイトへ
被災地のこれからの課題
震災からすでに6年が経過している東北。
補助金もそろそろなくなる。
復興需要はなくなりむしろ建築の仕事は減りつつあるという。
被災地の爪痕を残す場所も限られた場所だけ。
被災地の住む彼らの課題は、どうやって後世にこの記録を伝えていくか。
記憶が薄れるなか、記録だけ残していく。
80年も後はどんな世界になっているかわからないが、記憶を残す被災者がほぼいなくなることは確かだ。
建築寿命は100年とも120年とも言われるが、彼らは後世までどのようにこの記録を残していくのだろうか。